マタギもんぺジャーニー【鈴木英雄編】
秋田県・阿仁地区。5月半ば、春マタギの真っ只中。
山にはまだ雪が残り、谷間の集落には遅咲きの桜が咲き誇っていた。
今回訪ねたのは、阿仁・打当(うっとう)地区の現シカリ(=マタギのリーダー)、鈴木英雄(ひでお)さん。
「マタギもんぺ」制作時にも協力いただいた方であり、何より伝説のマタギ「空気投げの辰」こと、鈴木辰五郎さんの孫でもある。
辰五郎さんはマタギを本業として生きた最後の世代の一人。猟の最中、熊に襲われた際にその巨体を身ひとつで投げ飛ばしたという逸話から「空気投げの辰」の名で知られた伝説のマタギだ。
その血を受け継ぐ英雄さんは、現在も現役のマタギとして活動を続けながら、地域の若手をまとめ、マタギ文化の継承に力を尽くしている。
移住者を受け入れる柔らかさ
阿仁地域の人口減少が進むなか、マタギ文化を継ぐ若者の多くは地域外からの移住者たちだ。
英雄さんは、そうした移住者たちに対しても偏見なく接し、柔軟に迎え入れている。
かつて「マタギもんぺ」を一緒に制作した私たちに対しても、その想いを汲み取ってくださり、地域外の“よそ者”としてでなく、一緒に文化を担う仲間として接してくれた。
地域に根ざした継承とは何か。その問いに対する一つの答えが、英雄さんの在り方にあるのかもしれない。
春熊猟の調査へ
今回の訪問では、春マタギの時期に合わせて、猟場の調査にも同行させてもらった。
一昨年には熊の出没が相次ぎ、ニュースでも取り上げられるほどの事態となった。
木の実が不作だったため、熊たちが里に下りてきたのだ。
しかしその反動か、今年の春は熊の姿がなかなか見られないという。
それでも、英雄さんは足取りも軽く、私たちを猟場の奥へと案内してくれる。
雪の残る山道、豊富な雪解け水をたたえた渓流――転べば命に関わる場所も、英雄さんは迷いなく進んでいく。
マタギが持つ二股の杖も、歩行の補助だけでなく、銃を安定させたり、時には熊と対峙する武器にもなるという。山で調達できる素材を道具に変える知恵と技術。
それは生き抜く術であり、文化であり、継承すべき財産だ。
山を読む力
道中、若手マタギの益田くんとの何気ない会話のなかで、英雄さんはこんな言葉を口にした。
「春には秋のことを考えて山を見るんだぞ。俺はじいちゃんからそう教わった」
秋にキノコが生える場所、木の実が実る場所、熊が寄ってくる場所――
移ろう季節のなかで、先の季節を想像しながら山を読む力。
自然との長年の対話からしか生まれない感覚だ。
帰り道に、熊鍋を囲んで
調査を終えた帰り道。山道の入り口に戻ると、英雄さんが熊鍋を用意してくれていた。
鍋に入っていたのは、昨年授かった熊の肉。脂に甘みがあり、深みのある味わいだった。
そして、具材の山菜はすべてこの山で英雄さんがその場で採ったもの。
コゴミやゼンマイ、春の山には、必要な分だけを与えてくれる恵みがある。
所有や貯蓄ではなく、今この場で得られる安心感。奪い合う必要がないから、分け合える。
「マタギ勘定」と呼ばれる考え方。
山の恵みは、皆で平等に分け合う。それは、この文化に深く根付いた精神だ。
静かな山の空気のなか、湯気の立つ鍋を囲み、仲間たちと山の様子を語らう。
変わらない時間の流れと、変わらぬ営み。
春の打当には、そんな豊かさがあった。
おわりに
道なき山を歩きながら、背中で語り、実践を通して伝える。
それが鈴木英雄さんのマタギとしての継承のかたちだ。
地域外の人間であっても、想いを持ち、学ぶ意志があれば受け入れる。
そうして次の世代がまた山に入り、新たな一歩を踏み出していく。
打当のシカリ、鈴木英雄さんの背中には、未来への道筋が静かに、しかし力強く刻まれていた。