秋田県北部、阿仁・比立内(ひたちない)地区にある松橋旅館。
ここは、かつてマタギ集団が山から戻ると必ず立ち寄り、囲炉裏を囲んで身体を温めたという、マタギたちの“拠点”ともいえる場所。
店主の松橋利彦さんもまた、マタギもんぺ制作に関わってくれた一人であり、長年にわたって地域の山の恵みと向き合い続けてきたマタギだ。
今回の取材では、利彦さんの案内でイワナ釣りから始まり、旅館での料理として提供されるまでの一連の流れを追った。
山の貯蔵庫から、必要な分だけ
訪ねたのは、阿仁川の源流部。
ここは人工的な放流をしていない“天然の川”だという。
それでも川の中にはたくさんのイワナが泳ぎ、利彦さんは竿を振るたびに次々と釣り上げていく。
「獲りすぎるとすぐいなくなっちまう。だから、小さいやつは逃がしてやるんだ」
そう言って、まだ若い魚はそっと流れへ戻す。
魚を獲りすぎないからこそ、イワナたちは次の世代、またその次の世代へと命をつなぐ。
そして、川にはいつでもイワナがいるという“安心”がある。
だからこそ、無駄に獲る必要もない。
その土地に生きる者が、必要な分だけをいただき、また残す。
それが結果的に自然を守り、恵みを持続させることにつながっていく。
イワナがいつでも沢山釣れるという状況は、ただの資源の豊かさではない。
搾取ではなく、自然と共存するという、マタギたちの暮らしの知恵の賜物だ。
利彦さんの釣りを見ていると、獲るというよりも、まるで“山の貯蔵庫から必要な分だけ持ち出している”ようにすら見えた。
それは、マタギたちが大切にしてきた教え――
「獲る」のではなく「授かる」という言葉に宿る、自然との関わり方の深みそのものだった。
旅館でいただく、山の恵み
釣ったイワナは、その日のうちに塩焼きに。
囲炉裏のある旅館では、利彦さんの奥様が調理を担当している。
奥様は慣れた手つきで、イワナを一尾ずつ丁寧に捌いていく。
山菜やきのこ、そしてイワナなど、阿仁の山で利彦さんが採ってきた季節の食材が、次々と食卓に並ぶ。
それは派手な料理ではないけれど、どれもが素材の持ち味をまっすぐに活かした、心に沁みるような一皿だった。
この地でとれたものを、この地で味わう。とれたての旬の食材を、その土地の水や空気とともにいただくのだから、美味しくないはずがない。
イワナも、ついさきほどまで川で泳いでいたもの。じっくり焼かれたその身はふっくらとし、ほんのりと川の香りをまとっていた。
「骨酒が飲みたい」という常連さんには、焼いたイワナを熱燗に浸し、滋味深い一献として振る舞うこともあるという。
野山で採れた山菜やきのことともに、季節ごとの“阿仁の味”を五感で楽しむひととき。そこには、無理のない自然の循環と、静かで確かな豊かさがあった。
さっきまで命ある存在だったイワナが、今こうして“食べもの”として目の前にある。
私たちが日常的に口にしている食べ物も、かつてはすべて命だった――そんな当たり前の事実に、改めて気づかされる。
スーパーで綺麗にパッケージされた食材では感じづらい、生き物と食べ物のつながり。
ここ阿仁では、その“命の循環”がすぐそばにある。
目の前の一皿から感じる、力強さとやさしさ。
「いただきます」の言葉が、より深く、しみじみと胸に響いた。
息子の帰郷、次なる世代へ
今年の春、利彦さんの息子・翔(かける)さんが阿仁に帰ってきた。
一度は教員を志し、地元を離れていた翔さん。
「阿仁にいるときは、自然の素晴らしさや地域文化の面白さが当たり前すぎて、特別だなんて思わなかった」と振り返る。
けれど外に出て、ほかの地域を見ていくうちに、阿仁の自然の豊かさや暮らしの知恵が、どれほど貴重なものだったかに気づいたという。
やがて「自分も阿仁に戻って、この地域を盛り上げたい」という思いが芽生え、岩手県でジビエ加工の修行に励んだ。
そしてこの春、満を持してふるさとへ戻り、現在は阿仁の観光を盛り上げる仕事に従事している。
翔さんと利彦さんの会話は、どこにどんな山菜が出ていたとか、今年のイワナの様子がどうだとか、山野の話で尽きることがない。
ときには翔さんの山菜の知識に、利彦さんも「へえ、よく知ってるな」と感心することもあるという。
「まあ、あいつのやりたいようにやらせてるだけだよ」
そう言いながらも、地域の未来を担う息子の存在を、利彦さんは頼もしく思っているようだった。
翔さんが、これからどのように阿仁の文化や自然と向き合い、マタギの知恵をアップデートしながら次の世代へと伝えていくのか――。
その歩みに、ささやかで確かな希望の光が見えたような気がした。
マタギもんぺジャーニー、そしてその先へ
こうして「マタギもんぺ」に関わった人々の“その後”を訪ねる旅も、今回でひと区切り。
吉太郎さん、木村さん、英雄さん、そして利彦さん。
彼らはみな、それぞれのかたちで、自然と向き合いながら、マタギの知恵を生きた営みとして体現していた。
マタギとは、自然と共に生きる人たち。
熊を授かることと同じように、畑の野菜も、山菜も、魚も、すべてが自然からの恵み。
人が自然の上に立つのではなく、その一部として調和の中に生きる。
そんな精神を、彼らの暮らしはそっと教えてくれる。
けれどその“マタギ性”は、決して山の中だけのものではないと思う。
都会に暮らしていても、庭に手をかけたり、食べ物を粗末にしなかったり、ゴミをなるべく出さなかったり。
自然との関わりに心を向けるすべての人のなかに、マタギの精神は宿っている。
そう感じた旅でもあった。
服をつくるという営みを通して、私たちは彼らの暮らしの“深さ”に触れた。
そして今、そのもんぺを穿くたびに、山で交わした言葉や、熊鍋の湯気、釣ったイワナの躍動が、ふっと思い浮かぶ。
マタギもんぺが、そんな記憶や願いを映す「暮らしの象徴」として、誰かの心に静かに根づいていくことを願っている。