マタギもんぺジャーニー【松橋吉太郎編】
「マタギもんぺ」製作から一年。再び秋田県阿仁地区を訪れた私たちは、春の澄んだ空気の中で、変わらぬ暮らしと静かに進んでいく“継承”の姿を目にした。
まず足を運んだのは、92歳のレジェンドマタギ・松橋吉太郎さんのお宅。あの日、マタギもんぺを共に作り上げた若手マタギたちとともに、再びこの地を訪れた。
阿仁は芽吹きの季節
5月。朝晩にはまだ肌寒さが残るものの、山々はすでに鮮やかな新緑に包まれていた。
昨冬の大雪の影響で、例年よりも多くの残雪が見られる。
澄んだ山の空気を胸いっぱいに吸い込むと、自然と一年前の記憶がよみがえる。
「歴代最強のマタギ」とも称される吉太郎さんの家を、もんぺづくりに参加した若手たちと一緒に訪ねた。
「よく来たなー」
にこやかに迎えてくれた吉太郎さんは、背筋が伸び、言葉もはっきり。とても92歳とは思えないほどの存在感と元気さに、あらためて驚かされた。
語り継がれる、山のしきたりと知恵
家にあがると、吉太郎さんは昨年と同じように缶コーヒーとお菓子を差し出してくれた。変わらぬその光景に、思わず心がほぐれる。
こたつを囲むと、「今年の熊はどうだった?」「山菜はどうか?」と、山の話で場が一気に盛り上がる。
その表情は実に楽しそうで、目が生き生きと輝いていた。
若手マタギたちにとって、吉太郎さんから直接教えを受けられることは、本当に貴重な経験だ。マタギの衣装や道具の話ができる人は年々少なくなっており、若者たちも必死にその知恵を吸収しようとしている。
吉太郎さんも、それを語る姿は誇らしげで嬉しそうだ。自らの役割を実感しながら、安心してバトンを渡せる喜びが伝わってくる。
語られる武勇伝の数々も、作り話以上にリアルで面白い。若いころは相撲でも地域で無敵の強さだったという。昔の人々の体力の強さには、ただただ圧倒される。
その足腰の力が、今も健康の土台となっているのだろう。
そして、自然の恵みをいただきながら暮らしてきたこと――それが身体にも心にも根を張っているように感じられる。
マタギのしきたり、猟の心得、山との向き合い方。吉太郎さんの一言ひとことには、長年山を生き抜いてきた人の重みと優しさが込められていた。
静かに、でも確かに受け継がれていくもの
若手マタギたちもまた、ただ耳を傾けるだけではない。
「こういうときって、どうしますか?」
「この季節の熊は、どこに出やすいですか?」
次々と質問が飛び交い、コタツのまわりは対話と熱意に満ちていった。
そんな様子を見た吉太郎さんが、ぽつりとひとこと。
「知りたいことがあれば、いつでも聞きにくればいい。知っていることは全部教えてやる。」
若者たちは、その言葉を噛みしめるようにうなずいた。それはまるで何かを受け取ったかのようだった。
暮らしそのものが、文化になる
この集落では今も変わらず、薪を割り、山菜を採り、獲れた命を無駄にせずいただく暮らしが営まれている。
大きな変化はないように見えても、確かに新しい世代がその輪の中に加わっている。
もしかすると、1年前の「マタギもんぺ」づくりが、その一歩を踏み出すきっかけの一つになったのかもしれない。
マタギもんぺは、「単なる衣装の継承ではなく、暮らしそのものの継承」だと、そう強く実感する時間だった。
どこまでも山が好きなマタギたち
帰り際、吉太郎さんと若手マタギたちで記念写真を撮影した。
撮影が終わるや否や、吉太郎さんは山を指さしながら「あそこの山には熊がたくさんいてな、よくここまで降りてくるんだ…」
最後まで、話題はやっぱり山のこと。
地域で一番のマタギは、やっぱり地域で一番山を愛している。
山とともに生きる誇りと責任。
その根底にあるのは、どこまでも山を想う、まっすぐな気持ちだ。
その思いは今、静かに、でも確かに、次の世代へと手渡されている。