
縁日の蜂谷淳平です。
狩猟を始めて、気づけば5シーズン目を迎えました。
もともと僕はアウトドアが好きで、釣りも、キャンプも、スノーボードも好き。もちろん動物も好きです。
でも狩猟というものはずっとどこか遠い世界の話で、銃を持つなんてものすごくハードルが高いことだと思っていましたし、銃で獣を撃つという行為は、とても残酷なことのように感じていました。
釣りであればキャッチ&リリースがあり、自然と関わりながら殺さずに楽しむという関わり方もある。
けれど狩猟はそうはいかない。獲るということは、命をいただくということそのものです。
だから、狩猟をする自分の姿なんて、その頃は想像すらしていませんでした。
そんな僕の周りで「獣害」という言葉を身近に聞くようになったのは、今から10年ほど前のことです。
農家さんや林業の方たちは、本当に鹿が増えて困っていました。
話を聞くとみなさん本当に大変そうで、その言葉の端々からは鹿に対する強い怒りや憎しみの感情も伝わってきました。
農家さんや林業関係者の立場に立てば、それは当然の話です。
目の前で丹精込めて育てたものを、勝手に食べられてしまうのだから。
それは言い換えれば「お金」でもあり、「時間」でもあり、「労力」でもあり、「生活そのもの」でもあります。

目の前で自分の大切なものを、ごそっと食べられてしまったら、きっと僕だって同じように腹が立つと思います。
牧草も相当食べられるそうで、しかも肥料をきちんとあげた一番おいしいところから持っていく。
野菜も果実も、ちゃんと“食べごろ”を知っている。
動物たちは本当によく分かっています。当事者の視点に立てば、獣たちが「憎き相手」になってしまうのは、自然な感情だと思います。
一方で、必ず聞こえてくる声があります。
「動物を殺すなんて、かわいそうだ」。これも、めちゃくちゃよく分かる。
鹿って本当に可愛いし、子どもたちが動物を見るときの、あの無垢な顔を見ていると、「かわいい」という感情が頭の中いっぱいに広がります。
生きものが大好きな人にとって、野生でのびのび生きている動物を殺すなんて、受け入れられない気持ちが湧いてくるのも無理はないと思います。
しかし最近は本当に野生動物が増えています。
岩手県だけでも、毎年およそ3万頭の鹿が捕獲されています。
けれど、岩手県内の食肉処理加工施設は現在2カ所のみ。放射能の問題もあり、処理施設の建設や流通には大きなハードルがある。
3万頭すべてをきちんと活用するなんて、現実的には到底できず、実際にはその9割以上が廃棄処分されています。
「殺して、捨てるなんて残酷だ」
そんな声が上がるのも無理はありませんし、僕自身もこの現実を知ったとき、どうにも言葉にできない重たいものが胸に残りました。
それでも、生息数は増え続けています。
鹿が異常に増えている場所へ行くと、もともと生えていたはずの下草がほとんど残っていません。
足元は丸裸になり、土がむき出しになっている場所も少なくありません。
本来そこにあったはずの貴重な高山植物も、次々と食べられてしまっています。
さらに、下草がなくなることで、雨が降ったときに土砂がそのまま川へ流れ込みやすくなる。
川底は少しずつ浅くなり、その土砂はやがて海へと流れ出ていく。
山の問題は、川の問題になり、そして海の生態系にも静かに影響を広げていると言われています。
獣害は、決して「山の中だけの話」ではありません。
そして近年は、猪の被害も急激に増えています。もともと北日本にはあまり多く生息していなかった猪が、爆発的な勢いで数を増やし、僕たちが暮らす一関は岩手県内でも1、2を争うほどの“猪大国”になりました。
縁日の里山にも当然のように増え、せっかく整備した庭や敷地が、ある朝ふと見るとボコボコに掘り返されている、なんてことも珍しくありません。
猪は夜行性で、とにかく鼻がいい。
警戒心もとても強く、捕獲が非常に難しい。
しかも一回の出産で5頭ほどの子どもを産むので、増える勢いがとにかく凄い。
人の手が追いつかないほどのスピードで増え続けているのが、今の現実です。
近年、特に話題に上がるのは熊ではないでしょうか。
今年は異常とも言えるほど数が多く、里への出没も本当に頻発しています。
人身被害もたくさん出ていて、まさに緊急の対策を打っていかなければならない状況です。
街場に熊が出るのも当たり前になりつつあり、岩手では“アーバンベア”が身近にいる暮らしが当たり前のものになりつつあります。
学校のPTAの会議でも、熊対策の話がたびたび議題に上がります。

地元猟友会でも、今年は何頭の熊を捕獲したかという話になりますが、かなりの数の熊が駆除されました。
致し方ない部分もありつつ、熊もまたほとんどが廃棄されているという現実があり、そこに僕はどうしてもモヤモヤしたものを感じています。

マタギもんぺでもお世話になった秋田のマタギたちは、かつて熊を暮らしの貴重なタンパク源として、肉も、胆も、毛皮も、換金率の高い資金源として余すことなく活用してきました。
取りすぎることはせず、けれど積極的に狩りを行い、自然と上手く折り合いをつけながら暮らしてきた歴史があります。

岩手県内には鹿踊があちこちに残っていますが、その起源の一つは、四つ足の獣の供養にあるとも言われています。狩猟した鹿やカモシカ、熊など、山の恵みへの感謝や供養の思いが踊りとなり、今も踊り継がれています。
東北地方は、こうしてずっと自然との調和を大切にしてきました。
ただしその調和は、決してきれいごとだけではなく、刹那に満ちたヒリヒリした緊張感もあり、矛盾もあり、葛藤や軋轢も抱えたまま、その上で絶妙な均衡を保ってきたものだと、僕は思っています。
人と獣は、互いに利用し合いながら暮らしてきました。
活用し合いながら、時には憎き相手にもなり、けれど同時に大きな恵みも与えてくれる、どっちつかずの相手。
僕自身、地元の鹿踊団体に所属し芸能をする身でもあり、人でも獣でもなく、その境界をばっくり二つに分けない、「曖昧さ」を許容していくことこそが、とても大切なのではないかと感じています。

僕も動物は大好きです。でも狩猟も好きで、肉も食べる。
この矛盾にしばらく苦しみ、悩んだ時期もありましたが、数々の命と対峙するうちに、「そう、それでいい」と、ありのままの心情と現状を受け入れていけるようになりました。
緊急な地域課題として、熊についてはやはり人命を最優先に考え、街場に恐れず出てくる個体については駆除せざるを得ないと、僕は思っています。
増えすぎて生態系のバランスが崩れている今、鹿の頭数を減らすために駆除も進めるべきだとも考えています。
ただ、そこだけを目標にして「仕方ない」で思考停止してしまうのは違うとも思っています。
その先の“活用”をちゃんと考えていくこと、もっと言えば、温暖化の問題や、身近なところではゴミを捨てないといった根っこの部分まで視座を上げて、より良い自然と人の環境を考えていくことが大切なのだと思います。

だから僕たちは、縁日ブランドの中に「山ノ頂」というラインをつくり、害獣駆除された鹿の革を使ったアイテムづくりを始めました。
遠野の鹿の革を使い、地元で鹿革加工を営む「しかとくまや」の山田泰平くんと連携し、2022年から鹿革の商品を展開しています。

これは「少しでも駆除された鹿を利活用したい」という思いから始めたプロジェクトです。鹿革は野生で生きた鹿の革なので、傷もあるし、個体差もあり、風合いも一頭一頭まったく違います。
加工の手間とコストも高く、流通に乗せるのが難しいうえに、縫製もとても難しい。
厚みもまちまちで伸縮もするため、数を揃えることも簡単ではありません。
それでも少しずつ、鹿革のやわらかな良さや、僕たちの取り組みへの理解が広がり、流通もわずかずつですが前に進んでいます。

これまで廃棄されてきた熊の皮も活用するために、熊革のサコッシュもリリースしました。
インディゴ染めを施した熊革はとても力強くて、それでいて静かな存在感があり、本当にかっこいい風合いをしています。
熊革はしっかりとした質感で、命の重さそのもののような手触りがあります。

狩猟も、獣も、ものづくりも、踊りも。
この土地で起きている出来事は、どれもが絡み合っていて、どれか一つだけを切り取って「正しい」「間違っている」と簡単に言えるものではありません。
僕自身も、今もなお迷いながらこの土地で生きています。
それでも、奪った命を「なかったこと」にせず、暮らしの中で受け取り、つなぎ直していくこと。
それが、今の自分にできる一つの答えなのだと思っています。
縁日で手に取ってもらう一枚の革、一つの角。
その向こう側にある山の気配や、いのちの続きを、ほんの少しでも感じてもらえたら嬉しいです。
僕たちはこれからも、迷いながら、つくりながら、つなぎながら、この土地で、山と共に生きていきます。
縁日
蜂谷淳平