遠野の夏、太鼓の音がそこかしこから響く。
シシ踊りの練習は、地域の日常のリズムの一部だ。
縁日の手拭いシャツとマタギもんぺをまとった富川岳さんの姿が、彼が所属する張山しし踊りの練習場にあった。
練習場といってもダンススタジオなどではなく、道路に面した小屋の前。
地域の人々が普段通る場所で当たり前のように練習が繰り返され、バスが通っても誰も驚くことなく自然に眺めている。
暮らしの中に芸能が根づいている風景だ。
郷土芸能はいわばアマチュアが担うもの。普段はそれぞれの仕事や暮らしを持ちながら、夜に集まり練習を重ねる。けれど、ひとたび衣装を着て舞えば、その迫力は言葉を超える。暮らしの延長線上にある芸能には、ドッシリと地に足の付いた力強さがある。
幕を大きく水平に振り、腰を落として大地を踏みしめ、激しく頭を振る。
身体ごと太鼓の音を刻み込むような所作。
普段は穏やかな富川さんも、シシモードに入ると顔つきは一変し、猛々しい表情を浮かべる。
シシの姿と衣装
遠野に伝わるシシの衣装は、鹿や牛、龍などが掛け合わさったようなキメラ的存在。
神々しくも恐ろしい風貌を持ち、踊る姿は豪快で近寄りがたい怖さと神秘さを帯びている。
練習では衣装を着ないが、真剣に踊る富川さんの姿はすでにシシそのものだった。
「マタギもんぺは動きやすくて、どんな激しい動きでもしっかり追随してくれるんです」
暮らしの道具である服が、祈りの舞であるシシ踊りにも自然に馴染んでいる。
四方山に囲まれた盆地に響くリズム
岩手県遠野市は、四方を山に囲まれ、田園風景が広がる盆地。
シシ踊りは山への感謝と畏敬、里への五穀豊穣を願う大切な儀礼だ。
張山しし踊りは幕を水平に飛ばす独特の動きが特徴で、しなやかでゆったりとした踊りが続く。
スピードで誤魔化しが効かないため、一つひとつの所作に精度と強さが求められる。
練習では幕の代わりに手拭いやタオルを使い、頭で覚えるのではなく身体にリズムを刻み込む。
夏はシシ踊りのハイシーズン。
富川さんにとっても、内なる野生を呼び覚ます大切な季節だ。
遠野10年目、作家であり、シシであり
2016年に遠野へ移住して10年。
著書『シシになる。──遠野異界探訪記』をはじめとする活動を通して、富川さんは遠野の文化を現代に接続し続けてきた。
「踊れば踊るほど、地縁を感じ、土地との繋がりが強くなるんです」
そう語る彼は、今や地域に欠かせない存在となった。
作家であり、地域プロデューサーであり、そしてシシ踊りの踊り手。
その暮らしそのものが、文化を受け継ぎ、今を生きる実践となっている。
プロフィール
富川 岳(とみかわ がく)
シシ/作家。1987年、新潟県長岡市生まれ。岩手県遠野市在住。都内の広告会社にプロデューサーとして勤務した後、2016年に岩手県遠野市へ移住。恩師との出会いをきっかけに『遠野物語』に戦慄して以来、民俗学をベースとした様々な創作活動や文化振興を行う。2018年から張山しし踊り(遠野郷早池峰しし踊り張山保存会)に所属。郷土芸能「シシ踊り」に傾倒する日々を送る。2023年『本当にはじめての遠野物語』(遠野出版)、2024年『異界と共に生きる』(生活綴方出版部)、2025年6月『シシになる。──遠野異界探訪記』(亜紀書房)。株式会社富川屋代表、遠野市観光協会理事。遠野文化友の会副会長。
着用商品
マタギもんぺ