暮らしのあれやこれや

栗駒文字、日本にただ一軒つづく正藍冷染を訪ねて。 [2]

「うちの言い伝えでは、そうあるんですよ。」

正一さんの口からはよくこの言葉を聞いた。

初代あやのさんの頃から千葉家に代々受け継がれてきた正藍冷染。

小さい頃からその手仕事を間近で見て育った正一さんが本格的にそれを継いだのは、定年まで勤め上げた仕事を退職した、65歳の時。

代々伝わる言い伝えに習って、
春から夏には畑で藍を育て、
冬には藍建に使うアクを作り、
年明けに藍の葉を発酵させつくった蒅を、
春先に藍玉にして、初夏・藍を建てる。

長い長い月日をかけて準備をするが、はじめの四年間、まったく色が出なかったという。

正一さんの母・三代目のまつ江さんは、その様子を口を出さずに見ていた。

一年かけて、染まらない。それが四年もとなれば普通なら何か口出ししたくなるものだろうが、まつ江さんもまた職人で、長い時間をかけて自身の感覚で向き合うことでしか辿り着けないとわかっていたのかもしれない。

 

 

「アクをつくるのが難しいんです。いいアクができなければ染めない方がいい。」

正藍冷染の藍建てに使われるのは、藍の葉と、山の水と、ナラの木の灰を燃して作るアク。

この3つだけ。

少しでも余計なものが入るとダメなのだという。

 

中でもアクづくりが肝心で難しく、これは11月・12月頃の仕事。

ナラの木を燃やした灰を使う。他の樹種ではダメだそうだ。

火鉢の底に灰を敷いて、その上にまたナラの炭を燃やす。そうすると灰が固まって、アクができる。

言葉で言うのはこんなに簡単だけれど、これがただやってできるようなものではない。

今まで教えて欲しいと門を叩いた人も、うまくできた人はいなかった。

正一さんは私たちに染めの工程をとても丁寧に説明してくれる。その背景には正藍冷染を知ってほしいという想いと、幾年もひたすらに向き合い続けて継承した技術への自負もある。

私たちがたった1日2日どんなに教わったところで、とても一朝一夕に真似できるようなものではないのだ。

いかにこの染めが難しく繊細で、途方もない年月の上にあるかということを感じた。

_

工房の奥の座敷には、初代からの写真や染物、機織り機が残されている。

初代・あやのさんの頃は、麻の布作りと藍染めに一年没頭して向き合っていた。

畑で麻を育て、糸を績み、織り上げるところも全てやっていたそうだ。

地域から手伝いに来てくれる人もたくさんいて、みんなで手仕事をしていたという。

 

あやのさんが人間国宝に認定されたその数年後、千葉家は火事に見舞われた。

家財も織り機も染めの道具もみんな焼けてしまって、何も残らない。

10日くらい風呂にも入れず着替える服もなく、もう染めの仕事もやめようと思っていた折、

着ていた着物の帯の隙間からふと、ひと握りの藍の種がこぼれ落ちた。

あやのさんはその種を拾い、畑に植えるところからまた染めの仕事を再開したという。

近所の人も、織り機を持ってきてくれたりした。

この時やめていたら、この正藍冷染の技法は完全に絶えていただろうと正一さんは話す。

_

 

6月19日。

今年も藍が建ったという連絡を受けて、正一さんを訪ねた。

染めたいものを持ってきていいと言っていただいて、お言葉に甘えて、衣類を数点染めていただくことにした。

 

 

藍建の作業は5月の中頃から始めて、6月の初め頃に染まる状態にまでなったそうだ。

藍建は最も神経を使うしごとだから、この作業の時は誰も工房には入れないという。

一般的に、藍甕には電熱線を巻いたり土に埋めたりして温度を保つことが多いが、

正藍冷染は人工的な熱を加えずに藍を建てる。

藍染ではあまり見ない軽やかな見た目の、木の樽の中で藍建てと染めが行われる。

 

藍の表面に「藍の華」といわれる柔らかいきれいな泡が浮いている。

今年の藍は調子がいいそうだ。

手を入れて表面の膜が揺れると、染め液は青と緑が複雑に混ざったような綺麗で不思議な色をしている。

静かに丁寧に正一さんの手は動く。

生地に入っていく藍の様子を伺う表情はとても真剣だ。

引き上げた布ははじめは深い緑色。干している間に酸化して、見る間に藍色に発色していく。

 

後ろの神棚から、初代・あやのさんを模した像が正一さんの作業を見守っていた。

 

「この家には藍の菌が一年中いると言われてるんです。味噌蔵には味噌の菌がいるように。そんなことも影響してるんじゃないかな。よそでいいと言われている方法も、ここでは合わないこともある。」

目の前の手仕事に集中しながら、そう話す正一さん。

初代から続く歴史と人々の面影、工房に染みついた藍の匂い。確かに、目に見えない何かがこの染めにはあるのだろうと思わされる。

 

濃く深い藍色に染まった服を、川で洗う。

正一さんの工房のすぐ横を流れる二迫川は、澄んだ水の流れる清流だ。

じゃぶじゃぶと川の流れにゆだねながら洗うと、余分な藍が落ちて流れていくのが見えた。

川から引き上げてみると、目の覚めるような鮮やかで透き通った藍色に変わっていた。

夏の日差しがよく似合う、正一さんの正藍冷染でしか出せない美しい色だ。

 

6月から染め始めて、例年通りであれば7月の中頃くらいまでが染められる期間だそうだが、それも藍の調子次第だから、いつ染まらなくなるかはっきりとは言えないという。

この季節・この土地だけの特別な染物だ。

 

畑の土づくりから始まり、藍建て、染めまで、すべての工程で余計なものは使わずに土地の力で染め上げる。

この気持ちの良い工程の裏には、15ヶ月の時間をかけた正一さんの丁寧でまっすぐなものづくりへの姿勢がある。

 

この地に長く続く特別な染めに、間近で関わらせていただけることの貴重さを改めて感じた日だった。

2025.06.19

_
_

↓前の記事を読む
『栗駒文字、日本にただ一軒つづく正藍冷染を訪ねて。 [1]』
https://www.ennichi-shop.com/note/?p=2680

_
_

 

▼縁日のnanakoori SHIRTを、正一さんの正藍冷染で染めていただきました/

正藍冷染 nanakoori-SHIRT